Buy Art Only for You!
カロカロハウスは普段着のギャラリ−です。毎日をちょっと素敵にすることができたら、とても幸せ。
全く門外漢の私がギャラリー(と言ったら怒る方もあるかも知れない)というものを経営してきてわかったこと。
カロカロハウス限定情報ではあります。そしてこの精神は隣のショップと同じ。
自分が使ってよかったものをお分けしたい、一緒に喜んだり考えたりしたい。そんなことが動機になっています。ぜひ両方楽しんでご覧ください。


作品って買えるの?
私が縁あって、原宿の空っぽの一軒家をギャラリーにした頃、同じように思っていました。
20才の時知り合った同い年の女性がマリーローランサンの小さな作品を持っていてびっくりしたことがあります。「お小遣いをためて買った」と彼女は言いましたが、ファッションにうつつを抜かしていたその当時の私は、やれカシミヤだ、デザイナーブランドだ、と追いかけていたのです。
もちろんその事に悔いはなくて、その後の私の進路を決めることになったのですが、なんだか彼女に「ゆとり」というか、奥行きの深さというか、そんなものを感じてがーん!としたのをよく覚えています。裕福な家庭の人ではあったけれど、お金の使い方として、そんな事もあったのか!と負けた感じがしたのでした。
たいていの作品は買えます
アートを買うって、すごく普段の生活からかけ離れたことのように思いますか?
それ、普通です。ギャラリーを始めた私が知ったのは、「作家は作品を見て欲しい」ということでした。あたりまえのことのようですね、作品展をするのだから。でも、その気持ちは切ない程なのですよ。こんなものを作った、誰か見て。気に入ってくれる人がいるだろうか?この後も作り続けるエネルギーを得るために、切ない程「見て欲しい」のです。 一方通りすがる人達は「見てみたい」のです。でも、ギャラリーって何だか特殊な感じ。無理やり買わされたり、買う気持ちがないと素っ気無くされたりしないのだろうか?作家ってすごく変った人種?
そんなことを思っちゃうとためらってしまって、もう通り過ぎちゃったから、またにしよう、という感じです。
ギャラリー初体験はカロカロハウスにどうぞ
その平行線を行く人々ってすごぉく惜しい!と思ったのでした。きっと相思相愛なのに、何かで出会いを阻まれているみたい。その垣根を何とかしたい、と思って続けてきました。全然アート関係の知り合いのいなかった友人にとっても、ギャラリーは「何だかお高くて、入りにくい場所」だったのです。
これは何とかせんと!と思った私がやっているから、もしあなたがギャラリーに馴染みにくいとお思いならぜひカロカロハウスにいらしてください。カフェなどの展示もそれとなく知的で素敵だけれど、きちんと「見る」という目的で向き合う作品展の静謐な時間もいいものです。
展覧会のマナー
展覧会だけではないと思うのだけど。精魂傾けた仕事を見るときには「見せてもらう」という気持ちがうつくしいですね。作家の側は「見ていただく」というのがいい。これが基本にあるとやたらと触ったり、パチパチ写真を撮ったりということは起こりようがないのです。
そして記帳をするのはお互いさまの気持ち。作家はたまたま不在だったとしても、プロフィールなども出して恥ずかしながらまな板に乗って全身をさらけ出しているわけです。その相手に対して名前を名乗る、それは同じ高さに立つために昔から続いている習慣でもあるしね。
人が人を尊重する、そんな関係が一番素敵ですね。
買わなくても買うつもりで見る
外向きな時期ってあります。子どもが小さい時はそう。それでも展覧会に行きたかった私は、娘が小学生の頃ひと工夫しました。それが「買うつもりゲーム」。手の届かない値段のついた作品でも、値段のついていない美術品でも、もしこれが1000円だったら、と仮定しちゃうのです。どれを私の部屋に飾ろうか、と。(娘には100円と言いました。)そういう目で作品と向き合う、と、あら不思議。1000円でも欲しくないものってあるのですね。これは作品の悪口ではないのです。自分にぴったり来ない、という意味です。
そういう目で「見ること」を続けていくと、いつの間にか自分が見えてくる。作家が作ることで自分と向き合うように、見る人は見ることで自分を探るのですね。目ができてくる、とよく言いますが、これは自分がわかってくる、という意味なのかも知れません。
自分のためにあるような、たったひとつの作品
作品を見る、ということは旅に似ています。そして、きっと出会いがあります。旅の途中や最後には、素敵な作品が待っている。だから、急がなくていいのです。でも旅を降りないで欲しいな。
いろいろな作品に触れて、いろいろな作家と出会って、応援してあげたり、ちょっと感想をあげたり。また、元気をもらったりの旅。作家の仕事を何年も見続けてから作品を買うこともあると思います。作家も作品も変ります。数年のスパンでしばらく作品展を追ってみるとその変化や成長もよく見えてくる。こちらの見え方も変ったりする。それはちょっと秘密な感じのする自分だけの対話と言えるかも知れません。
作家はどんな人に作品を買って欲しい?
心配な方は安心してください。まず、一番が「本当に気に入ってくれた人」だとどんな作家も答えるはず。
お金が余っていて使いたい人に懸命に作った作品を持っていてもらいたい作家というのに、私は会ったことがありません。だから、お金持ちである必要はありません。そして、大切に思ってくれる人。買ったら作品展にもう足を運ばなくなるような人でなくて、程よい距離感で長くおつき合いできる人がいいと私なら思います。例えば年に一度、作品展でお目にかかる、相変わらずの元気をお互いに喜びあう、そんな関係が10年も続いたらどうでしょう?何だか素敵じゃないかしら。単にブラウスを一枚買うより、バーゲンで得するより、ちょっと豊かです。そう、作家って作品に情熱を燃やしている健全な普通の人です。毎日仕事や雑事に情熱を燃やして暮らしているあなたと同じです。
原宿と茅ヶ崎
原宿でギャラリーをやっていた7年間、私が考えていたのは「もっとギャラリーに入って下さる方を増やしたい」ということでした。原宿は私が10代だった頃と随分変わりました。街が変わっていくのは自然なことだし、いいことなんだけど、どうも人々が大きな資本力のある会社の開発や発展に付いていっていないような気がするのです。それは無理矢理変わらされているという感じです。
作品が人の暮らしに入っていかないと、作家達は生活していけない。もっと暮らしのあるところ、人の気持ちが素直に街を形作っているところでギャラリーをやりたい、そう思うようになったら自然に湘南を目指していたのでした。
暮らしまるごとの豊かさ
茅ヶ崎に移転する際に私が考えついたのは「ショップ」を併設すること。
アートという特定の分野はともすると「高尚」や「よそいき」にとられてしまう。でもそれは全然違います。毎日があって、お夕飯の心配や犬のごはんの入手方法に考えを巡らせている自分が絵を見たり、作家さんと話している。作家さんもそうです。毎日があって、お金の心配なんかもしてるわけ。そんな中で作品が生まれてくる。だからこそ「暮らしのある街で」ギャラリーをやる意味ができてくるのです。一番安い値段のものは105円ですが、その105円は美的にも実用的にも価値のあるものを提供したいと思ってせっけん屋にしたのでした。
サブカルチャーこそがカルチャー
今はそれこそ「高尚、知的、一握り」感の強い分野の芸術、例えば能だって発生当時はみんなのためのものだった。それに私たちのような普通の人々がワクワクしたり、ノリまくったりしていたのです。それが文化というものだと私は思う。
今を生きている私たちがワクワクドキドキするもの、それを求めてギャラリーをやっているのが実のところです。マンガや映画をサブカルチャーと呼びますね。でもそれは間違ってるの、私の勝手な見解では。サブカルチャーこそがカルチャーだと思うのです。
※このページは前からお伝えしたい、と思っていたことを書いてみました。ちょっとドキドキしています。感想をお聞かせください。
abouthome

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